「ゆたかな社会」が投げかける公共性の問題 ガルブレイスの著書『ゆたかな社会』は、経済学者ガルブレイスが経済学の範疇を超えていろいろな論点を扱っていて面白い 本です。中にはインフレ懸念など現代ではあまりぴんと来ない話題もありますが、今にも通じる指摘も多く含まれています。 中でも、アメリカで進んだ「公共部門と民間部門の格差」については、考えさせられました。 誰もがテレビ・ラジオを持っているが、学校は貧弱。住宅はきれいなのに街路は汚い。最新式の自動車で公園にキャンプに出掛けるが、道路の舗装は悪く、ごみが落ち、広告だらけ。公園にたどりついても、小川は汚く、周囲から悪臭がする… 現代日本でも思い当たる光景ですよね。 貧弱な公共部門に対して現代アメリカが出した答え NHKで授業が放送されて、大変有名になった、サンデル教授。その著書『それをお金で買いますか 市場主義の限界』の中の一章は、ガルブレイスが投げかけた「こんなに貧弱な公共部門でよいのか」という問題提起に対して、アメリカ社会がどんな答えを出したのか、それがどんな問題を生み出しているのかを示しています。 アメリカ社会が出した答えとは、「公共部門の施設・設備に、民間がお金を出す。ただしそこに広告を出す代価として」です。いまアメリカでは、公立の学校に、刑務所に、パトカーに、民間企業の広告が出ているそうです。それによって、公立の施設は収入を得、施設やサービスの拡充の費用に充てているというのです。 それをお金で売っていいの? サンデル教授は、そのようなアメリカの事態を良しとしているわけではありません。公共的なものが持つ価値、「公共善」を腐敗・堕落させているのではないか、という問題提起をしています。 幸か不幸か、日本ではまだ「刑務所が広告スペースを販売した」という話は聞きません。が、広告のかたちこそしていないものの、いわゆる「命名権」も、意味としては同じですよね。公共の施設の名前を、私企業が、自社の知名度を上げるために、買っていますから。 サンデル教授はアメリカの命名権の事例も多数取り上げ、地域の歴史に根差している、公共の施設の名前を、売り払っていいのだろうか?という疑問を投げかけています。 公共施設の在り方について、とても考えさせられます。 本当にそれをお金で売っていいの?公正な取引であ
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