何をするにもお金がかかる
現代日本の、街の中、特に都市においては、何をするにもお金がかかります。座っているだけでも。誰からも怪しまれずに1時間座っていたい、本でも読もうかと思ったら、喫茶店に入って、最低でも数百円支払わないといけません。お店によっては快適でしょうが、それでも両手両足を伸ばして大きく伸びをするわけにはいきませんし、自宅でくつろぐように過ごせるわけではありません。
まして町中でちょっとそこらに腰掛けてとなると、落ち着いて過ごせる場所はかなり限られます。水筒からお茶を飲む、本を読む、伸びをする。町中で、無料で、そこまでくつろげるスペースがすぐに思いつくでしょうか
町中にも、緑地を確保するためのスペースがあるにはありますが、あまり広くはありません。そして、お決まりの「利用上の注意」が掲示されています。一人でくつろぐくらいなら支障はありませんが、事細かに使用上の注意が書いてあって、キャッチボールだのバトミントンだの、そういう遊びなどもってのほか、になっています。郊外の少し広めの公園ですら、そうです。
そう、いまや、大人も子どもも、広場で体を動かして遊びたい、と思ったら、お金を払ってスポーツクラブに入ったり、遊具のある遊び場など、専用の場所で過ごすことになるわけです。
誰の物でもない場所を、少しのあいだ借り受けて、大事に使う
本来、街は誰の物でもなく、公共のものです。公園はもちろん、道路の少しの隙間などでも、安全を脅かしたり、他の人の利用を排除しない限り、私人が自由に使ってよいはずです。
本書は、公共空間を私人が適切に利用する方法を伝え、またそれが街、公共空間の価値を増してくれるということを教えてくれます。
たとえば、夜、広い公園の芝生の上に、シーツをスクリーンがわりに広げ、プロジェクターで映画を上映し、数人の仲間と観る。都会の川辺のスペースにテーブルと椅子を持ち込み、食事を楽しむ。
公共の空間、施設を利用して私的な行為をしていますが、これは犯罪ではないし、不法行為でもありません。「グレーゾーン」という価値判断を加えるのさえ、早計でしょう。
生活の稼働範囲を広げる
本書ではこうした公共空間の使い方について、「生活の可動範囲を広げる」という表現をしています。私はこの表現がとても気に入りました。
公共空間、公共施設に、行政による管理が行き届いていれば、そこは清潔で安全に保たれます。これは大変ありがたいことです。ただ、行き届いた管理は、自由な利用を抑制する効果もあったわけですね。
少し頭を柔らかくして、他の人に迷惑をかけないように、それでいて自由にまちを使う。本書が提案するやり方は、たくさんの人の人生を、安上がりに豊かにする手段の一つなんじゃないかと思いました。
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