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7月, 2020の投稿を表示しています

江戸時代は本当にエコだったのか

江戸=環境都市? 江戸の町では、古着や古道具などのリサイクルが行われ、長屋のし尿は近隣の農家によって肥料にされていた。江戸はエコな町だった…という話を、聞いたことがある方は多いと思います。 本書は、それは一面的な見方なのではないか?という観点を示してくれます。 農業のため、草山・柴山・はげ山にされていた”里山” 農村の近隣にあって、生活資源を得るために管理・利用されている山を”里山”と称することがあります。人間と自然の共生のシンボルのように使われることのある呼称ですが、本書を読むと印象が変わります。 日本は、野山を放置すると、森林化する気候である 高木が立ち並ぶようになると、農業のための資源(草・柴)を得るのに不便になる 毎年野焼きをして、里山の森林化を防いでいた(焼き畑農業のためではない) ということなのだそうです。野焼きは、たびたび森林火災を起こし、木材取得用の御用林が焼けることもあって、規制も行われたにも関わらず、続けられたのだとか。 表紙写真の、伊豆・大室山は、野焼きで知られていますが、こうした事情で行われていたんですね。 江戸中期以降、貧弱な里山が環境問題を起こしていた 里山では草・柴だけが育ち、それも田畑の肥料や牛馬の飼料にするため、刈られます。一つの家の田畑、一つの村がどれほどの量を必要としたか、記録から推定されているのですが、すごい量です。 そうやって草ばかりにすると、山林の保水力が下がるし、土砂の流出も発生します。 こうして発生した環境問題に対応するために、”砂防ダム”が作られた、という話まで出てきます! 経済・格差問題まで生み出していた また、江戸初期から新田開発の取り組みが進みますが、草山・柴山を新田として開発してしまうと、肥料の原料が取れなくなってしまいます。 結果、金銭的に豊かな農民や、肥料購入の経路がある農村は肥料を買う(干鰯など)ことで生産量を上げます。一方、貧しい農民、肥料購入の経路が無い農村は、利用可能な肥料が無いため、土地の生産力が落ち、さらに貧しくなってしまうのです。 草山問題は、経済・格差問題まで生み出していたのです。 地道な資料から、近世の暮らしが鮮やかに見えてくる。面白いリーフレット 他にも、山の利用方法について近隣の農村同士が争ったり、砂防ダムの建設工事などを巡って諸藩の権力の調整が行われたり。江戸時代の農村の仕事の姿が

西洋の科学・技術の受容、組織化・制度化、そして国策化

『日本史リブレット 科学技術政策』 科学の研究、技術の開発を、国家が奨励し、そのための教育・人材育成を行う。お金や資源を沢山投入する。 この本は、今では当たり前だと思われている「国としての科学技術政策」について、明治から現代にいたるまでの百年の歴史を扱っています。 西洋科学の受容にはじまる その歴史は、(前史としての、幕末の諸藩の科学技術導入の後)明治初期、まずはとにかく一人でも多くの日本人に西洋の科学・技術を修得させようとすることから始まります。お雇い外国人、留学生の派遣など。 組織と制度の確立 次いで、帝国大学による国内での教育へ。平行して、国の行政組織の確立と、組織間の権限の争いが続きます。 ここで興味深かったのは、同じ帝国大学を卒業しても、科学・技術系の学科で学び、科学者・技術者としての教育を受けて官僚になる場合と、法律を学んで官僚になる場合で、到達できる地位に差異が設けられたことです。前者には天井があった。 法律に基づく行政組織を確立し、運用していく上では、やむを得ないか、もしかしたら適切な判断だったのかもしれません。でも、この制度、制度の精神が、技術者の地位が軽視されがちな社会を作ってしまったのかもしれない、とも思いました。 戦争のための挙国体制へ 時はうつり、第一次世界大戦、第二次世界大戦の時代へ。国家間の紛争の激しいこの数十年の間、日本では、資源不足を補い、他国との力量差を埋めるべく、挙国一致の科学技術振興がさかんに言われていたようです。しかし、様々な思惑が交錯して、結局組織の組み換えが起きるばかりで、はっきりとした成果を出すことができなかったとのこと。 「研究」を効率良く進める、予定通り成果を上げるということの難しさを考えると、これは無理な構想だったように思います。 著者も、敗戦という結果と、この間の科学技術政策との間に、因果関係をあまり認めていないように読めます。 なお、この流れの中で、技術者の地位向上の働きかけが行われ、一部が成就したことが指摘されています。 敗戦後、民主化された社会での取り組み 本書に書かれているわけではありませんが、「国家が科学技術研究に大量の資本を投資した」のは、戦後、冷戦の状況下と聞いたことがあります。アポロ計画のような大規模な科学技術への投資をアメリカが行い、日本もそれにならったというわけです。 その結果として、現代の

アラフィフがトレーニングについて思うこと

以前、このブログで、トレーニングの話題を書いたことがあります。この記事もトレーニングの話なのですが、40代も半ばになって考えていることなど書き留めておこうというものです。 身体は動かないより動いた方がいい。身体を動かすのが億劫になったらヤバイ 私は学生の頃に運動部にいて、今も、そこそこ身体を動かすのが好きです。すごく好きなわけではありません。「動ける身体」だった頃の記憶があるので、あんまりにも重たく、動かなくなると、不快になるのです。だから正確には「動かなくなるのが嫌、なので身体のメンテナンスの必要を感じている」ですね。 その学生時代に膝に大きなケガをして、その後のリハビリをちゃんとやらなかった上に、20代の頃に正しくない負荷をかけてしまったため、今も膝の調子はいまひとつ良くありません。具体的に言うと、ほぼ走れません。数メートル小走りするくらいが限界です。スローペースでジョギングしても翌日に膝に痛みが出ることがあるので、最近はジョギングもしません。書いてみると、私の身体の状態、結構深刻だなあ…。全然、悲観してはいないですけど。大人になってしまえば、全力で100メートル走る必要ってないですからね。 そんな状態なので、行える運動には限りがあって、スポーツクラブのプールに通って泳いだり、ジムでトレーニングしていたのですが、この数か月はケトルベルを買って、自宅で週に3日か4日、無理の無い範囲で身体を動かしています。 ジム通いを辞めた理由 ジムを辞めたのは新型コロナの流行の前です。 会社帰りにジムに寄るなら、晩御飯を会社の近くで食べ、お腹が落ち着いてからにしなければいけません。自宅で晩御飯を食べてから、深夜帯に近い時間帯にジムに行く手もありますが、それでは寝つきが悪くなる。 週末にジムに行くのでは週1回しか運動しないことになるし、行って帰ってくる時間がもったいない気もする。 …そんなわけで、自分の日々の生活に組み込むのが困難だったのです。ジムは設備が良くておおむね快適なのですが、僕の生活(仕事、家庭、放送大学の勉強等)には、週2・3回のジム通いを組み入れることが出来ませんでした。 そこへいくと、自宅の限りあるスペースで、短時間で身体の様々な部位に負荷をかけ、また循環器系のトレーニングにもなるケトルベルはぴったりでした。そこにたどり着くまでに、ダンベルやチューブに手を出したりも

近代化をはじめた日本に、感染症が突き付けたもの

江戸末期から近代まで、感染症に対する日本社会の反応 表紙は、江戸時代の浮世絵です。花火大会の様子。今に続く隅田川花火大会の歴史をさかのぼると、徳川吉宗によって開かれた、疫病の犠牲者を悼むための催しにたどりつく。そんな印象的なエピソードで『感染症の近代史』は始まります。 記述の中心は江戸時代末期から明治時代までの、感染症に関わる近世・近代史です。折々、世界の動向が補足されているので、(日本に限らない)感染症の近世・近代史といっていいかもしれません。 感染症は世界とつながっていて、外交問題でもある 江戸時代末期頃までに、欧米・世界では、大航海時代を経て、貿易が盛んになっていました。これは同時に、ある地域の風土病であったものが、世界に蔓延する機会を作った、ということでもありました。 そして、国と国の間には外交関係、力関係があり、防疫という各国の協力が必要な事案にも、その力関係が影を落としています。 産業化は都市化を招き、都市化は感染症の急速な拡大を招いた 産業革命を経て都市化が進んだロンドン、パリがいかに不衛生で、感染症が蔓延したか。対策に乗り出した結果、医療・衛生の科学的研究が進んだことも紹介されています。 そこで得られたのは、「清潔な水道が大切」という知見でした。 感染症は、科学・医療、教育、行政に影響を与えた 近代国家日本はさまざまな社会の変革に取り組んだわけですが、本書を読み進めると感染症対策=医療・衛生分野にもその波が来たことが分かります。 福沢諭吉をはじめ、蘭学に取り組んできた人々が、既に世界のパワーバランスが変わり、英語をこそ学ばなければならない、英語を通じて世界の知識・科学を学ばなければならない、と気づきます。これは科学(そして医学)と教育の問題ですね。 また、下水道整備など都市の整備が、行政の重要な課題として認識され、行政機関・組織が作られたことも紹介されています。 感染症は社会に課題を突き付ける 読み進めて、私が残念な気持ちになったのは、感染症に感染した患者を集めた避病院が、近隣住民によって襲撃された事件の記述を読んだときでした。 今回の新型コロナウイルスの感染対応の中で、医療従事者に対する誹謗中傷・差別の類があったと聞きます。我々は科学を学び、近代的な医療制度、衛生概念を知っているはずですが、江戸・明治の昔と大差のないことをしてしまっているわけです。