江戸=環境都市?
江戸の町では、古着や古道具などのリサイクルが行われ、長屋のし尿は近隣の農家によって肥料にされていた。江戸はエコな町だった…という話を、聞いたことがある方は多いと思います。
本書は、それは一面的な見方なのではないか?という観点を示してくれます。
農業のため、草山・柴山・はげ山にされていた”里山”
農村の近隣にあって、生活資源を得るために管理・利用されている山を”里山”と称することがあります。人間と自然の共生のシンボルのように使われることのある呼称ですが、本書を読むと印象が変わります。
- 日本は、野山を放置すると、森林化する気候である
- 高木が立ち並ぶようになると、農業のための資源(草・柴)を得るのに不便になる
- 毎年野焼きをして、里山の森林化を防いでいた(焼き畑農業のためではない)
ということなのだそうです。野焼きは、たびたび森林火災を起こし、木材取得用の御用林が焼けることもあって、規制も行われたにも関わらず、続けられたのだとか。
表紙写真の、伊豆・大室山は、野焼きで知られていますが、こうした事情で行われていたんですね。
江戸中期以降、貧弱な里山が環境問題を起こしていた
里山では草・柴だけが育ち、それも田畑の肥料や牛馬の飼料にするため、刈られます。一つの家の田畑、一つの村がどれほどの量を必要としたか、記録から推定されているのですが、すごい量です。
そうやって草ばかりにすると、山林の保水力が下がるし、土砂の流出も発生します。
こうして発生した環境問題に対応するために、”砂防ダム”が作られた、という話まで出てきます!
経済・格差問題まで生み出していた
また、江戸初期から新田開発の取り組みが進みますが、草山・柴山を新田として開発してしまうと、肥料の原料が取れなくなってしまいます。
結果、金銭的に豊かな農民や、肥料購入の経路がある農村は肥料を買う(干鰯など)ことで生産量を上げます。一方、貧しい農民、肥料購入の経路が無い農村は、利用可能な肥料が無いため、土地の生産力が落ち、さらに貧しくなってしまうのです。
草山問題は、経済・格差問題まで生み出していたのです。
地道な資料から、近世の暮らしが鮮やかに見えてくる。面白いリーフレット
他にも、山の利用方法について近隣の農村同士が争ったり、砂防ダムの建設工事などを巡って諸藩の権力の調整が行われたり。江戸時代の農村の仕事の姿が見えてくる、大変面白いリーフレットでした。
余談ですが、テレビや新聞でも活躍している歴史学者磯田道史氏の若かりし頃の研究も参照されていて、「やはりスゴイ人は若い頃から地道に仕事を蓄積しているものなのだなあ」と感心しました。
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