江戸末期から近代まで、感染症に対する日本社会の反応
表紙は、江戸時代の浮世絵です。花火大会の様子。今に続く隅田川花火大会の歴史をさかのぼると、徳川吉宗によって開かれた、疫病の犠牲者を悼むための催しにたどりつく。そんな印象的なエピソードで『感染症の近代史』は始まります。
記述の中心は江戸時代末期から明治時代までの、感染症に関わる近世・近代史です。折々、世界の動向が補足されているので、(日本に限らない)感染症の近世・近代史といっていいかもしれません。
感染症は世界とつながっていて、外交問題でもある
江戸時代末期頃までに、欧米・世界では、大航海時代を経て、貿易が盛んになっていました。これは同時に、ある地域の風土病であったものが、世界に蔓延する機会を作った、ということでもありました。
そして、国と国の間には外交関係、力関係があり、防疫という各国の協力が必要な事案にも、その力関係が影を落としています。
産業化は都市化を招き、都市化は感染症の急速な拡大を招いた
産業革命を経て都市化が進んだロンドン、パリがいかに不衛生で、感染症が蔓延したか。対策に乗り出した結果、医療・衛生の科学的研究が進んだことも紹介されています。
そこで得られたのは、「清潔な水道が大切」という知見でした。
感染症は、科学・医療、教育、行政に影響を与えた
近代国家日本はさまざまな社会の変革に取り組んだわけですが、本書を読み進めると感染症対策=医療・衛生分野にもその波が来たことが分かります。
福沢諭吉をはじめ、蘭学に取り組んできた人々が、既に世界のパワーバランスが変わり、英語をこそ学ばなければならない、英語を通じて世界の知識・科学を学ばなければならない、と気づきます。これは科学(そして医学)と教育の問題ですね。
また、下水道整備など都市の整備が、行政の重要な課題として認識され、行政機関・組織が作られたことも紹介されています。
感染症は社会に課題を突き付ける
読み進めて、私が残念な気持ちになったのは、感染症に感染した患者を集めた避病院が、近隣住民によって襲撃された事件の記述を読んだときでした。
今回の新型コロナウイルスの感染対応の中で、医療従事者に対する誹謗中傷・差別の類があったと聞きます。我々は科学を学び、近代的な医療制度、衛生概念を知っているはずですが、江戸・明治の昔と大差のないことをしてしまっているわけです。
日常に生かすべき「教訓」はそんなに難しくない
この数か月、いろいろな識者が語ったことの繰り返しになってしまいますが、正しく科学的な知識を身に付け、冷静な対応をできるようにならなければならないと思いました。
それには生物学・医学・衛生学・行政の幅広い分野にわたる基礎的な理解を必要とします。
とはいえ、おそらく、日常生活を送る上では、そんなに高度なところまで知る必要はありません。基礎をきちんと押さえて、とっぴなことを考えないで済ませるようになることが大事だと思います。
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