海音寺潮五郎氏の「作家的想像力」
上杉謙信を描いた小説『天と地と』で知られる作家・海音寺潮五郎は、史伝文学というジャンルを切り開いた人です(Amazonの海音寺潮五郎氏のページへ)。40年余り前に亡くなった作家ですが、近年、その作品が文春文庫で出版されなおしており、普通の書店の店頭でも見かけます。
氏は、その史伝作品の中で、しばしば「この頃の史料は乏しいが、小説にするなら作家的想像力を働かせて~のようにするところだ」という書き方をしています。史料に当たって、なるべく歴史上の事実がどうであったか調べた上で、小説に仕上げる、という文学観を持っていたとのこと。
調査を重んじた司馬遼太郎氏を激賞する一方、面白さを優先するアプローチをとる作家をかなり嫌っていたようで、池波正太郎氏の直木賞選考に関する言動を見るとちょっと面白いです。池波氏にしたら災難だったでしょうが…
伊勢新九郎盛時、のちに伊勢宗瑞
代表作と呼ぶに足る作品に事欠かない、ゆうきまさみ氏がいまビッグコミックスピリッツに連載している『新九郎、奔る!』は、北条早雲こと伊勢宗瑞を描いた漫画です。
といっても北条早雲になるはるか前、十代の新九郎少年が応仁の乱の時代にどう生きたか、というところが描かれている最中。ゆうき氏は沢山の人物を登場させ、それぞれの背景や思惑も丁寧に描いているので、とても読みごたえがあります。
今、作中で、新九郎少年は生まれ育った京都を離れ、伊勢家の所領である土地にやってきました。室町時代の混乱した統治状況に悩まされつつ、徐々に、確実に成長している様子が描かれています。
この所領での物語が雑誌に掲載される直前に、ゆうき氏はツイッターで「史料が残っていないので、想像力を働かせて描いている」という趣旨のつぶやきをされました。作家的想像力ですね。
これまでの様々な作品で、マンガ的な面白さがきちんとありながら、組織や運命に左右される人間たちのドラマを描いてきたゆうき氏なので、ツイートを読んだときにワクワクしたのを覚えています。
ところで、単行本は既に4巻まで出ていますが、新九郎はまだ若い。つい、これ完結するのかな…という心配をしてしまいます。もしかしたら描く範囲を決めているのかもしれませんね。作品の冒頭で、壮年の新九郎が、自らの運命を切り開く決戦に挑むシーンが描かれているので、そこまでは確実に描くと思うのですが、どうなるでしょう?
心配はともかく、伊勢氏という権力の中枢の家に生まれた新九郎が、応仁の乱以降の荒れた時代の中で、どうやって生きていくのか。楽しみにしていた…んですが、ちょっと先取りをしたくなり、日本史リブレット人に『北条早雲』があったので、買って読んでしまいました。
伊勢宗瑞、かつて北条早雲
僕がまだ学生だった頃、小田原北条氏の祖といえば、「北条早雲」でした。出自がよく分からず、下剋上により戦国大名として成り上がった、とされていました。
近年の研究で、それが伊勢氏の一族で、新九郎盛時であった、ということが分かり、出家して伊勢宗瑞の名で活動したので、いま歴史家が書くときは「伊勢宗瑞」を使うそうです。そして、宗瑞の後の時代に、伊勢氏が北条を名乗るようになったので、「北条早雲」というのはあまり正確な呼び方ではないのだとか。
『北条早雲』によると、盛時は家臣とともに京都を出た後、駿河を足掛かりに伊豆を切り取り、続いて相模から関東諸国へと進出。豊臣氏に滅ぼされるまで、小田原北条氏は一大勢力でした。その間、検地を行って租税の額を決めるなど、戦国大名として先進的な領地支配を行ったそうです。
「この先、新九郎たちはどうなってしまうの?!」と思って 『北条早雲』を読んだのですが、ゆうきまさみ氏が張っている伏線に気付くことになりました。なるほど、作家はこうして史料の隙間を埋め、人物や物語に厚みを作るのだな…と感心しています。
伊勢宗瑞のその後の運命を先取りして読んでしまいましたが、『新九郎、奔る!』への興味は尽きません。
日本史リブレット人は、遠山景元のほか鶴屋南北、酒井抱一を読みましたが、ほんとにハズレが無いです。興味がわいたら、ぜひ読んでみて欲しいですね。
コメント
コメントを投稿