高校生の時、古文の授業の一環で百人一首を覚える必要があったのですが、まるで楽しくありませんでした。
同じく高校生の時、やはり授業の一環で『奥のほそ道』を岩波文庫で読んだのですが、本文の短さに対してとんでもない量の注釈を読んで、うんざりしたものでした。
大人になって『奥のほそ道』を再読したのですが、感想は同じ。注釈多い!芭蕉ら江戸時代の俳人たちは、膨大な古典・和歌の教養のもとで作歌し、楽しんでいたということなんだなと、痛感しました。
古典の教養を身につけたい
数年前、「芭蕉らのレベルになるのは難しいにせよ、教養の一端でも身につけたい」と思い立って、百人一首の解説などをはじめ、和歌に触れる本を何冊か読んでみたのです。
その感想は、「百人一首、あんまりぴんとこないなあ」でした。特に、時代が下がるにしたがって、歌が技巧的に過ぎる。「うまい言葉遊びだなあ」とは思うけど、感情を揺り動かされる感じはなかったのです。
これは多分に好みの問題だと思います。あるいは私に芸術を解する感性が無い、と言われても、特に返す言葉はありません。実際私は単純で面倒くさがりな人間なので、複雑な感情を理解することは出来ないようです。
一方、万葉集の歌(長歌もふくめ)には、なんとなく興味が惹かれるんですよね。長歌のような、見慣れない形式が面白いだけなのかもしれませんが。
元号「令和」が、万葉集から採られたということもあって、何はともあれ、少し踏み込んでみようと。
『万葉の秀歌』
まずその令和の発案者(とされる)中西進氏の著作『万葉の秀歌』を読んでいます。巻1から順に、巻の構成・内容についての説明があり、先生が選ぶ歌、歌の解説がある、という本です。
『まんがで読破 万葉集』や、『ビギナーズクラシックス 万葉集』で、万葉集の一端には触れていたので、さほど戸惑わずに読んでいますが、やはり難しいですね。歌そのものの背景、古代の天皇の歴史や、当時の社会についてから、勉強させてもらう感じです。今のところ、歌を鑑賞するレベルでは読めていないと思います。
それでも、万葉集の良さの一端はつかめてきたかもしれません。やはり詠む人の感情が、直接的か、(感情を他の事物に託すにしても)比較的簡素なやり方で託されて、表現されているように思います。詠み人知らずの歌の、素朴で簡明なところなど、とても愛らしいと思います。
一生もの
「秀歌」の本は、いま少しずつ読み進めていて、まだ半分弱です。万葉集は収録している歌の数も多く、一生かけて読んでいくことになるでしょう。まずはじっくり読みます。
「教養を身に付ける」つもりで手を付けましたが、古典に触れるというのは、一生楽しめる娯楽なのかもしれません。
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