浮世床というタイトルから、浮世絵を連想して、あるいは色っぽい話もあるかな…と思いきや、浮世は浮世でも「死後の世に対して、この世の中。現実生活。人生。」(コトバンク 大辞泉)の方の意味で、町の床屋を舞台に、ひっきりなしに訪れる客が、どうでもいい話をしながら、入れ替わり立ち替わり。そうして床屋の一日は過ぎていく…。物語らしい筋立てがあるものではない、駄洒落、小話、ほら話の会話がずらずらと。これはそういう本です。
そんな本を漫画にするというのは大変な苦労だったようで、作者の古谷三敏(Amazon著者ページへのリンク)氏の後書きによれば、原作を読んですぐ編集部に「題材を変えさせてくれ」と交渉したのだとか。そこを変えさせなかった編集部は偉かった(結果、古谷氏は本当に苦労した様子ですけど)。
デフォルメが効いた、ちょっとブサイクだけど愛嬌があって親近感の湧く登場人物たちが、表情豊かに、あんな話こんな話を語っていきます。
古典落語の、八さん熊さんご隠居さんのやりとりを絵にしたらこんな感じじゃないか、そんな風に感じます。落語は、落語家さんの芸が見る側の想像力を刺激して、架空の人物に存在感を与えると思うのですが、この漫画は古谷氏の画面構成力、吹き出しの配置のセンスが、存在感やリズム感を生んでいるように見受けます。特に、本も終わりに近いところで登場する「金鳴屋のお袋さん」のシーンの画面といったら!すごい技だなあと思いました。
古典落語の、八さん熊さんご隠居さんのやりとりを絵にしたらこんな感じじゃないか、そんな風に感じます。落語は、落語家さんの芸が見る側の想像力を刺激して、架空の人物に存在感を与えると思うのですが、この漫画は古谷氏の画面構成力、吹き出しの配置のセンスが、存在感やリズム感を生んでいるように見受けます。特に、本も終わりに近いところで登場する「金鳴屋のお袋さん」のシーンの画面といったら!すごい技だなあと思いました。
このシリーズは、『三河物語』(安彦良和氏)をはじめ、漫画化しにくい本も作家の腕力で漫画化させるという無茶をしていますが、おかげで「日本の漫画家が開発・獲得した漫画の文法・漫画の技術」をはっきりと目にする機会を得られたのかもしれません。
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