『奥の細道』 の短さと、分かりにくさ
奥の細道という作品は、読もうと思えばあっという間に読めます。岩波文庫版で100ページにも満たない小品です(文庫には、奥の細道の他に同行した弟子による曾良日記、後年の読者による注釈書である奥細道菅菰抄が付いています。それでも250ページほど)。意気込んで読んでみたら二日くらいで読めてしまい「あれ?」となりました。
ただ、その直後に「全然読めてない…」という感想も湧いてきました。なんとなれば、松尾芭蕉が歌枕を訪れ、それに触れながら自作を詠むわけですが、芭蕉が念頭に置いている(当時の読者も想像した)古典の和歌を、私が知らないからでした。
学生の頃、「現地に行ってみたらその風情、興趣がもっと分かるかもしれない」と 思って中尊寺あたりに旅行したこともありますが、やはりそういうことじゃないんですよね。もちろん現地を訪れたことに意味はありましたけど、読みこなし、深く味わうためには古典の教養がどうしても必要になってきます。岩波文庫に菅菰抄が付いているのも、そういう理由だと思うんですが、これがなかなか大変で…
どう漫画化してあるか
他の子供向けのマンガ化作品では、おおよその旅程をたどりながら、わかりやすく、また面白みのある句を取り上げています。それはそれでまったく正しいマンガ化だと思うのですが、矢口高雄氏はそこでとどまっていません。さまざまな資料にあたりつつ、『奥の細道』では詳細に描かれていない旅の事情や、当時の俳諧師の社会的な位置づけなどを述べつつ描かれます。芭蕉が各地の弟子からどう歓迎されるか見て、江戸時代のあれこれについて想像を巡らせるのは楽しいです。
矢口氏の画風との相性の良さ
矢口氏といえばやはり『釣りキチ三平』です。山の中、渓流、静かな湖、あるいは鮎が泳ぐ川…。子供の頃、あの作品を読んでいると、丁寧に描きこまれた自然の風景から、匂いがただよってくるように感じたものでした。本作では江戸時代の東北の山、森、川が描かれています。現代の山、森、川の情景を見慣れた私にはとうてい想像が行き届かないところが描かれているように思います。弟子と二人、東北の山中を行く芭蕉が見た景色はこうだったんだろうなあ…と納得してしまいます。
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